善悪にこだわること

善悪という言葉はあまり正確な概念ではないそうだが、便宜上この言葉を使う。

 

善は単純である。概念としては単純ではないが、感覚としてはすぐにそれとわかるものである。

悪は複雑である。私は悪とは自分の楽しさや幸福とは関係ないものと定義したい。

悪は空っぽであるから嘘で塗り固められ、それゆえ理解が難しいものなのだと思う。

 

悪は複雑だが、共通点がある。それは必死で関心を引こうとする点である。

我々は小さいころから大人になるまで、悪を見せつけられる。漫画や映画、テレビドラマのフィクションの世界から芸能界、政治、ニュースで。ずっと「これが悪である!これが悪なのだ!」という叫びを聞かされる。

 

しかし関心を持ったところで自分とは本質的に関係のないものであるから、エネルギーを吸われるだけなのである。悪には関心をもたないという以上の対応方法はないようである。

 

悪を行う人に関心を持ち続け、反感を感じ、批判する人がいる。

自分の幸福につながらないのになぜそれをしてしまうのか。

 

それは幼少のときからの執拗な刷り込みで、悪が自分の人生に実在しており、悪への理解や働きかけが自分の人生を切り開くうえで重要だと勘違いしてしまっているからではないか。

 

つまり幸福を知らず、自分の幸福が悪とは別次元にあることを知らないのだろうと思う。

 

幸福を探すのである。そのことにフォーカスするのである。