「我思う、ゆえに我あり」の演繹
注)このブログではデカルトの「我思う、ゆえに我あり」をすでに命題ではなく原理として使う。
情報が多すぎて、迷子になる。
自分が濁流に流されないように掴まっていられるものはなんだ?
「我思う、ゆえに我あり」はたしからしいと自分は思う。
だからこれを演繹していったものや、かすっているものはだいたい合っているのではないかと思う。
つまり"実在"しているのは自分の意思だ。自分の"意思"が世界の原理だ。
(このブログをたまに読みに来る人たちはこの部分を俗っぽくとらえて誤解はしないと思う😅言葉で正確に説明はできないのだが、イメージとして言うと、「実際に」、「物理的に」そうであるという意味。エゴとか傲慢とかそういう次元ではなく、そういう自然法則?であるという意味)。
ほかのものが存在しているかどうかはわからないが、重みとしては意思の方がずっと重いと思われる。