いい感じ
前回書いた記事の「自分の知覚する範囲だけに(実在として)世界が存在する」という説。調べてみると似たような説がすでに難しい名前が付けられてあるようだ。しかしこの説を読んでみると肝心なことはなにも言わないし、ふつう疑問に思うようなことにもまったく言及しない。そして元々突飛な説だが、そのレベルでなお飛躍し、不整合があるように思う。つまり、なにかおかしな雰囲気があるのでこの「似たような説」に関心をもったり、言及したり、名称を挙げたりしてはいけないように個人的に思った。
閑話休題。
「自分の知覚する範囲だけに(本当に、実在として)世界が存在する」という説を意識してから、なにか心が軽くなった。この説は「自分の世界はただ自分の世界である」ことを間接的に言う。自分が自由であることを言う。それは最高😆である。
だって、どこのだれだか知らない者の行動で、自分が一喜一憂しなければならないなんて、そんなの本当の本当に、とてつもなく、つまらない🤣呆れ果てる😅。下らなすぎる😅。
そんなものが世界の原理ならそれこそ破綻しているが、そんなわけない。それは自然をみれば明らかである。
というか私の持っているあらゆる情報がこの説に向かって漫画の集中線よろしく収束しているように感じられてならないのである。