両親が私に望んでいたこと
両親は私に強く育ってほしいと願っていた。
私への接し方でたびたびそういう思いが伝わってくる言動をしていた。
「厳しく育てる」、「強く」などのキーワードがたびたび出てきていた。
ふと、なぜこのような思いを持ったのだろうと思う。
おそらくだが、昭和が激動の時代であったから(つねにそうなのかもしれないが)、厳しい環境でも生きていってほしいと思ったのかもしれない。また昭和はごちゃごちゃしていたから世の中がよくわからないという感覚の裏返しでもあったのかもしれない。
この時代はプロレスのTV中継が人気だったらしい。プロレスは相手の技をまともに受けてどれだけ耐えられるかも注目される点である。つまり「忍耐力があるのが伊達」という時代の価値観もあったのかもしれない。
私も幼少期からこのような思いに応えていたように思う。小さいときにわざと雨に打たれて耐えるみたいな変なことをしていた(滝行みたいなイメージ)。またいまに至るまで忍耐が必要な道をあえて選んできたように思う。
しかし本当の強さとはなんだろう。
「忍耐力があり、強くなってほしい」という思いは方向性としてはまったく理解できるし、現実に即していると思う。しかし解像度としては粗いイメージだ。
本当に強いとは自分がなにが好きでなにが嫌いか、なにをしたくて、なにをしたくないかがはっきりと分かっていることではないだろうか。そしてそれに向けて行動ができることではないだろうか。自分には不要なことを理解し、嫌なことは耐えるのではなく離れる行動がとれることが本当に強いことなのではないだろうか。
そしてこれをすることが大意として両親の願いを叶えていることになるのだと思う。