某申告について

あの申告は要するに「嘘ついた/つかない」ゲームへの参加の同意書だと思う。

「嘘をついたら痛めつけられる」ことへの同意書である。参加者は自ら痛めつけられることに同意しているのである。

 

ミスは嘘とみなされる。このしくみは恣意性の極みのようなルールに基づいており、履行は煩雑で、ミスをなくそうとするならば何重ものチェックを精神力・注意力を使って行い、人間に知覚しきれない自然現象を人間の限定的な知覚能力と意志力、注意力でもって正確な数値に置き換えることが要求されるのである。どちらの立場が有利なゲームだろうか。

 

嘘について書く。人間が作ったインチキ法では嘘はごくごく限定的な局面でしか犯罪にならない。しかし実際には嘘はすべて本質的罪(バイオレーション)なのである。それを連中は知っている。だからその罠にかけるのである(話の順序が逆ではないかと思う人もいるかもしれない。その場合はなぜその法が成立しうるのかを考えてもらいたい)。

 

お金はそのときどきの文脈によって性質を変えるように思うが、連中は金を人を痛めつけ、エネルギーや精神的自由を奪う用途として使う。本当に金が欲しいわけではない。欲しいのはエネルギーと支配である。

 

無申告はかえって追及されにくいという。これは、そもそもゲームに参加していないし、「嘘をついた」という要件も満たしていないので、原理的になにもできないだけではないかと私は思う。なにかをする本質的な理由がないのである。ゲームに参加する同意をしてはじめて理由が生まれるのである。

 

究極的には生きるために働いているだけ。それだけであって、奪われたり、自ら奪われるために働く理由がどこにもない。

 

このしくみは脅迫による恐喝である。ただの、そして純然たるゆすり・たかりである。

 

しかし私や人々はこういうことに注意を向けるような段階を脱しつつあると思う。

こういうことには「注意を向ける」のではなく、「向けない」のがよいようである。

反感のエネルギーを注ぐことは連中にとってはエサなのである。