善人が狂った世界をつくる

善人が狂った世界をつくる。

この事実が人生最大の罠であるように思う。

 

偽装されたあらゆるガラクタ、矛盾、ミスリード、たくらみは相手にしなければなんてことはない。

 

しかし愛すべき善人たちからこれらが素晴らしいもの、または重要なものであると聞かされるとどうだろうか?

 

それらを当たり前のものとして自分の人生に取り込んでしまう。

しかし毒はどこまでいっても毒なので、結果延々と理由もわからず苦しむことになるのである。

 

しかし人間にはこれが毒だと認識できないのである。なぜなら自分の愛すべき人たちが受け入れているものだからである。これが人生最大の罠であるように思う。

 

善人たちが奨励するものや当たり前のものとして受け入れているものを自分の心が感じるままに捨てていくと苦しみは消える。

 

善人たちが本来なんてことのないガラクタを実体化させ、現実に組み込んでしまうのである。

 

なぜこのような状況であるのか私にはわからない。ふつう気づけるようなものばかりであると思うし、そうでなくとも行き当たった状況でなにかおかしいと口々に疑問が出るようなものばかりのように思う。

 

もはやこういう"設定"であると思わなければ辻褄が合わない。そして自分が人生ですべきことはこの事実に気づくことだったようである(もしかしたらそれだけなのかもしれない)。