実体

非難するわけではないのだが。

実体として人々に影響できるのは人。それが原理のように思える。

連中はミスリードするだけ。

ということは、なんかしょーもない出来事は実際には(市井の)一部の人たちのあまり賛同できかねる考えや金、行動が引き起こしていると考えてよいということにならないか?(どんな考えも実行者がいなければ実現しない)

 

つまり、一見無関係に思える出来事が、実はそういう人たちの考えが引き起こしていたという可能性が自分のなかで浮上しているのである。

 

ということは、状況がけっこう単純にならないだろうか。

 

自分とは相容れない人たちにははっきり「NO‼」を言い、自分が好きになれる人とだけ心をつなげればよいのではないだろうか。

感覚の話なので言葉では説明しづらいのだが。当たり前の話に聞こえるかもしれない。

 

つまり深層心理で体制の下に人が存在しているみたいに刷り込まれていたのだが、すべてに超越して人が一番 主であり、一番 上なのだ。インチキルールは関係ない。つまり本当のルールは好きな人同士で生活していこう、だ。

(世界の片隅に二人が存在しているのではなく、二人こそが世界なのだ)。

 

また原因がわからないのだが、「相容れない者も受け入れなければならない。それが正しい」みたいな無意識下の道徳?倫理観?みたいなものが自分のなかになぜかある。

私の肌感覚ではそんなわけない😅と思う。

相容れない者には「この人、嫌!!」と言って(実際に口に出さなくていいが)バリバリ離れていいと思う。こんなにはっきりとした感情がなにかの間違いのわけがないと思う。

 

「インチキルールの下に人は平等」…。そもそも好きな人同士で生活を完結できたらインチキルールは別次元のまったく関係ない話になるな。

嫌だと思う者とインチキルールの制約下で無理やり一緒にいてもエナバンされるので本質的にQOL爆下がりでしかなく、やっぱり意味ないのだが。成立していないのだが。