エナバンと無関係になるには
一度気づけば明らかなこと。
"社会"はエナバンシステムだ。人々を虐待して、ネガティブな感情を取り出すための場だ。
不思議なのは、なぜそれを今の今までだれも指摘しなかったのだろう。
「こんなの絶対おかしい」と思うことは何度もあった。
それがなぜこの根本的な見方に結びつかなかったのだろう。
あまりに悪辣なこのたくらみは、人間の素直な感性から逸脱しているからだろうか。
「まさか」と思う。そんなことがあるはずがないと。
悪辣すぎて、ものを考える前提に含めることができないのだ。そんなことがあるなんてほんの少しも想像だにできない。
世の中がなにかおぞましい、おそろしいことを内包していることは、幼少のころ直感的に感じた。しかしその正体に思いを馳せる前に学校でしこたま洗〇をぶち込まれて、考える暇を与えられなかった。つまり問題の根本ではなく、枝葉に注意をそらされていた。
エナバンと無関係になるにはどうすればよいだろうか?
遣り口を知る
エナバンと無関係になるにはまずエナバンが実在し、エナバンという行為があることを知ることだと思う。
そしてその遣り口のキーになっているのが無意識への働きかけだ。
エナバンは無意識に対して働きかけることで行われる。
エナバンのために、ある行為が行われる。これは表面的には誰でも見て理解できる明白な行為である。
しかしこの行為にはトリックがある。この行為は無意識に対する二次的な影響が真の狙いなのである。いつもそれを見越して、そこから逆算して行為を行うのである。
大衆は無意識に対して知識もなく無防備であるし、そんなおぞましいたくらみが行われているなどつゆほども知らない。だから操作されていることにすら気づかず、誘導されていく。
遣り口のもう一つのキーは、(無意識のものも含む)コンプレックスを刺激してくることである。エナバンはいつも人々のコンプレックスを観察している。研究している。知り尽くしている。
死への恐れ、貧困への恐れ、病への恐れ、馬鹿と呼ばれることの恐れ、罪悪感…。これ以外の多種多様なコンプレックスを知っている。無意識のものも含むあらゆるコンプレックスを間接的な方法で刺激してくるのである。
コンプレックスがエナバンのための取っ掛かりである。コンプレックスを意識に上げることができれば、エナバンされにくくなると思う。
【追記】
脅しが効かなくなってきたとみると、挑発に切り替える。怒りと恐れは転化しやすいため。しかし自分が実行するわけではなく、手下にやらせる。
エナバンは大衆のコンプレックスを刺激して、対立グループを作る。対立グループ同士をぶつけて争わせ、さらにネガティブな感情を取り出す。コンプレックスを大衆のなかで共鳴させあうこと。エナバンはその状況を作りたい。
遣り口はジョジョ4部の「チープ・トリック」に似ている。直接的にはなにもできないが、不安や恐怖を煽る。恐怖そのものではなく、その人のなかの恐怖の種を巨大に演出する。
「エネルギーは渡さない」と決心する
エナバンと無関係になるためにできることとして「エネルギーは渡さない」と決心することである。不思議なのだが、この決心をすると本当にエナバンされなくなる。この理由は説明できない。
力で押さえつけるようなところに近寄らない
力で押さえつけるようなところに近寄らない。こういうところはエナバン配下である。力をぶつけて痛めつけるのは大得意であるので、決して相手の土俵に乗らない。
エナバンのことを考えない
エナバンは意識を向けられていることがわかる。どのような感情であれ、意識を向けるとそれだけでエナバンされるのだ。エナバンのことを考えない。
楽しいことをやる
自分が楽しいと思うこと、面白いと思うことをやる。エナバンの詐術にかかると、引っ張る強さが非常に強いので、そっちへ引っ張られる(恐怖、怒り、不安などは引っ張る力が強い)。これを意思の力で抗うことは難しい。しかし自分が楽しいと思うことをやっていると自然と忘れている。結果的にかかわらなくてすむ。