部屋を綺麗にするにはイメージから
掃除をしないと部屋は自動的に荒れていく。
いまはCGが関心のほとんどを占めているため、最近部屋の掃除をしていない。
私の関心は、床に散乱するスーパーのビニール袋とか、脱ぎすてられた服とか、洗濯機の蓋に無造作に積まれたタオルとはなにも関りがないのだ。
そうは言っても限界を超えると結局掃除するのだが。
「めんどくさそうであまりやりたくない」と直感的に思うことは、実際にやってみると本当にめんどくさいのである。大変な作業なのである。
掃除や整頓が得意な人がいる。
その人の頭のなかには、物の配置がイメージとしてあるようなのである
(私をはじめ常人にはそのようなイメージはないのではないか。ただ片づける過程で適当に収まりの良いところを探していくだけである)。
そしてこのイメージは長い年月の検討と実践の経験によって作られたもののようである。
こういう人が掃除や整頓をすると常人にとっては驚くような光景になる。なにか「次元が違う」と思わされるような綺麗さになる。
こういう人にとっての掃除や整頓は、外界の物と自分のイメージをリンクさせていく作業のようである。
一方、常人にとっては掃除や整頓は面倒なものをちぎっては投げ、ちぎっては投げのひたすら無味乾燥な作業である。
捉え方がそもそも違うのである。常人は物の配置において何も願っていない。関心すら持っていない。得意な人は常にあるべき姿を願っているのである。