毎晩死ぬと思って生きる

教わった知識について考えてみる。

いわく、人は毎晩死ぬと思って生きねばならぬらしい。今日の自分と明日の自分は実質的に別人であり、実在しない将来を見据えて生きるのはお門違いである。そして明日生きている保証はどこにもない。そうであるならば毎日、その日死ぬものと思って自分のしたいことを、楽しいことをめいっぱいして悔いのないように生きるべきと

(かなり端折ったのでありがちな刹那的、短絡的生き方に聞こえるかもしれないが、ここでこの誤解をとくための詳細な説明はもはや不要だろう)。

 

なんとなくそうであると思う。上記は通常 人には知り得ない領域も含まれていると思うのでこの説の是非を自分には判定はできないのだが、かと言って間違っているようにも思えない。

 

ある日、自分のなかで明白に方針が立ったと思っても日数が経過するとブレてくることを私は残念に思っていた。これは記憶が変質したために意思も弱くなってきたのかと考えたが、そうではなく今日の自分と明日の自分は微妙に別人と考えると筋が通るように思う。

 

今日しか生きられぬのならしたいことは目白押しで時間がまったく足りないくらいだ。

 

ファイト・クラブ」が多くの人の印象に残るのは、なににも縛られずに自由に自分の生を謳歌したいという根源的な欲求があるからだ。