嘘と本当の区別のしかた
"社会"と呼ばれているものは搾取のために刷り込まれた嘘の概念である。
常識と呼ばれていることは潜在的に有害で、嘘の概念が多い。
でもそのような見方でいると、いったい何を根拠としてものを考えたらよいのかという重大な問題が発生する。
私はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」を命題ではなく、すでに原理と考えている。
この原理から派生した考えやこの原理の亜種やこの原理にかすっている考えは大体確からしいと私はみなしている。
だから「人の心に感情が湧き上がる」現象そのものは真実だと思っている。
だから私は人々とのコミュニケーションは実在、本当だと思っているのである。
あとは肌感覚でたしかに相手に種々の感情が生まれていることを感じる、相手がNPCではないと感じる(※他人がNPCでないと論理的に確認する方法がない)。そのこともこの理論を確からしいと思う根拠になっている。