あらゆるものが認識によって実在する

あらゆるものが認識によって実在する(①)

「それ」は自分によって存在している。

有であり無である不定のものに自分が形をあたえる。

自分こそが創造主だったのだ。

「いやいや、あんたが物質世界にいて、感覚によって既存の物の実在を知覚しているのだ」という意見があるかもしれない。

解釈はどうあれ①の原理はすべての人が認めるだろう。そうであれば究極的にはどのような舞台装置で実現されていても違いがないのだ。"物"が"実在"していようと、いなかろうと…(そもそも実在とはなにか。自分以外のすべての存在のたしかさが揺れている🙄)。

 

以前からこのブログで"社会"についての意見を書いてきたが、これは不十分な理解にもとづいていた。

本質的な理解は「自分は"社会"と名づけた概念を持っている」だ。究極的にはそれだけだ。