自由っていったいなんだい⑤

やりたいことをやろうとしたとき、いろいろ問題が発生する。

 

ひとつはやりたくない作業が付随して発生すること。

たとえばCGを作る場合、スクリプトやノードを使うが、この仕様なんてべつに知りたくない。しかしそれを知らないと作ることができない。

 

私は行列推理みたいな頭の使い方をするのが大嫌いである。

例を挙げると、謎解きゲームとか脱出ゲームとかMENSAテストとかゲームのリトルナイトメアなどである。RATという検査で測る知能である。

 

私はこういう頭の使い方が得意ではないし、これが解けたとてほとんど喜びを感じない。

 

だからプログラミングやノードプログラムが好きではない。なんもおもろくない

クォータニオン、べつに知ったとて、理解できたとて喜びを感じないし興味がない。

なんか、やりたいことのまえに横たわる、変な苦役である。

 

ペイントソフトを触るのはそこそこおもろいが、ベクタードローソフトを触るのは(すべてではないが)基本的に強い苦痛である。

 

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超人的な知能をもつマリア・モンテッソーリはなんでも自分でできた方がいいと言う。

その通りだと思う一方で、最近は「本当にそうかな?」と思っている。

やりたくないものはどこまでいってもやりたくない。心が「やる意味がない」と感じている。

 

「やりたいこと」のざっくりとしたイメージは様々な要素の集合である。

当初イメージする「やりたいこと」には「やりたくないこと」も含まれるのである。最初はまだ十分な解像度が得られていないのである。

 

もし「やりたいこと」だけに本気で集中し、「やりたくないこと」を一切やらないとすると人の生活は一体どうなってしまうのだろう。