物を売ったり買ったりについて

結論のないとりとめのない話。

 

多くの人は量産価格とオーダーメイド価格の区別がつかない(オーダーメイド=ここではファッションにかぎらない受注開発の意味)。

オーダーして「なぜそんなに高いの!?」と思う。オーダーメイドには開発費もかかるから量産価格とは桁が違う。

 

また多くの人はパッケージ化されていない商品を嫌う。嫌うというか理解できなかったり、認知すら危うい。

 

「お金はお店に並んでいる素敵な商品と交換できる」という認識でずっと生きてきたので当たり前である。私もそうである。

 

パッケージはある意味幻想である(パッケージ : 包装にかぎらず、売り手が買い手にイメージを醸成させるために謳うことすべて)。パッケージをみて買ったものが思った通りの商品かなんてわからない。パッケージを見て頭で商品を認識するのと実物を感覚で感じるのは認識の次元が違っていて、実際はまったく別物であるような気がする。

 

パッケージ商品に慣らされていると「お金を払ったんだから面倒なことは全部そっちで責任持ってよ」と思いがちだが、そもそもパッケージ自体幻想なのである。購入の選択や購入物の責任は自分で負わなければならない(より正確に言うと「どうしたって負わざるをえない状況に最終的になる」)。

 

また他人の技術や経験を安く見積もりがちである。専門的な内容なのでわからないのは当然かもしれないが。

その人にその技術の提供にいくらかかるか聞いてみると思ったよりはるかに高額になると思うが、ほとんどの場合それは良心的な価格であると思う。自分がその技術が良いと思った人ならば、吹っ掛ける人は実際はほとんどいないと思う。

 

必要なものに正当な対価を払わない。必要なものを横着して安く値切ろうとする。

無理からぬ話ではある。

多くの人は会社員で、手取りが中央値で25万円くらいだろうか。家賃を払っていればほとんど手元に残らないし、会社員ならば投資するという感覚がない(金融商品の話ではない、自分の事業の話)。そんなふうに教育されてきていない。

 

お金を払うのが惜しいなら全部自分でやったほうがいい。

必要なものなら十分な額を払うべき。選択が正しければ払った分の見返りはあるはずである。

 

もの・サービスの売り買いの世界はざっくり3つあるような気がする。

①量産価格の世界

②ラグジュアリー品の世界

③経費の世界(経費=リターンを見越した投資)

 

②や③の世界のものを①の感覚で買おうとする人があるが、無理な話である。

なぜ無理なのか?心の奥底でアクセルとブレーキを両方踏んでいるからである。背反する認識や欲求を持っているからである。それに自分で気づいていないからである。

結局、お金の話とはお金という物質の話ではなく、人の意識の話なのだろうか。意識や心の話であるように思う。