感謝とは

感謝とはなんだろう。

感謝…感謝…。はて…?

告白しよう。私は「ありがとう」の言葉は日常的に使いまくるが、本当に感謝することは少ない。年が長じてからはほとんどない。

 

しかし教わった知識によるとなにか重要な精神的態度であるよう。

 

それで感謝について調べても、なにか変な答えばかりだ。筋の通らない"道徳"に終始するか、悲しいほど程度の低い"ライフハック"に終始するかである。そこらへんの大人に聞いてもしっくりこない答えしか返ってこないだろう。

 

感謝とはなんだろう、そもそも感謝することが見当たらない。

私が感謝できることといったら…

 

太陽には感謝である。あまりにも恩恵が大きいので、要素を取り出して「ここが良い」とかいうレベルではない。

 

地球は…。地球がなければ私は一秒すら生きていられないので間違えなく恩恵を受けているが、地球上で起こることは悲喜こもごもなので素直に感謝できない。

 

あと感謝できることはなんだろう…。

 

寿司は美味いので、寿司には感謝だ。だから魚にも感謝だ。だから海にも感謝だ。船を出して漁をしている人間にもまあ…。

 

犬には感謝だ。かわいいことに感謝。存在していることに感謝だ。犬を作り出したのは人間なので、人間にもというところだが、犬種を作り出す過程で犬にとっては辛いことが数えきれないほどあっただろう。だから人間には素直に感謝と言ってしまっていいのだろうかと思う。

 

美しい人には感謝だ。存在していることに感謝。ただ美しくあることに感謝だ。だからその両親にも感謝だ。しかし美しい人の両親は悪い意味ではなく、おそらく会っても私の関心を引かない普通の人だろう。不思議である。

 

ふとんに感謝だ。だから綿に、羽毛の鳥に、ふとん屋に、ふとんを作った人に感謝だ。

 

こうやって自分でも感謝できそうなことを探していくと、あることに気がつく。

それは感謝すべきものには形がなく、目に見えない力を源流としていることだ

(意味がわかりにくいだろうか。上で挙げたものは普遍的に存在しているもののうちたまたま自分に対して反射した光が閃くようなものなのだ。物質に着目するとその源流を遡り切れないのだ)。

 

この力は風だ。感謝の念は船の帆を張ることだ。風はつねに存在している。感受性が高いか低いかだ。